X'mas企画  /「TOMOE」,「透明人間」

 

24,25の二夜に、それぞれ別の朗読企画を行いました。

 

24に行った自身のプロデュース「TOMOE 」を中心に、

このクリスマス期間の所感を残します。

最後に脚本ダウンロードのリンクもございますので、

ぜひお読みください(無断使用・転載を禁じます)。

 

※「透明人間」については、劇団Columnをご覧ください。

八焔座HP(座長コラム) → コチラ

○三年前、初めてのプロデュース

 3年前、まだ役者脳しか持ち合わせていなかった僕に、懇意にさせて頂いているCafe' nookのマスターから、「クリスマス、何か企画やってよ」とお声がけ頂きました。

 当時アルバイトをしていた僕は、幾度か貸切の音楽イベントなどをお手伝いし、「いつかできたら、」と淡い羨望を抱いていました。自分の空間で、限られた席数で、大切な方々をお呼びして、思い切りやりたいことをやって、飲む。そんな素敵なことはありません。

 それでも当時の僕には、企画を担うなどは本当に大それたことでした。

 今でこそ身を削ぐようにプロデュースなどやっていますが、役者しか知らなかった愚直な僕には、考えの及びもつかないような事件だったのです。

3年前。「オーギー・レンのクリスマスストーリー」(21歳、若い!)
3年前。「オーギー・レンのクリスマスストーリー」(21歳、若い!)

 お題を頂きました。
 洋画「SMOKE」に登場する短話「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」。

 一冊に編纂されていたものを抜き取って、僕なりに朗読用に書き換え、探り探り、恐る恐る、当日を迎えました。

 あれが全ての始まりだったように思います。
 朗読「空巣」、「乳白」と続き、「海月」で三部作としました。外部からの脚本依頼やちょっとしたプロデュースを任せていただくようになりました。

 いま改めて考えると、「知っている」という自分の経験だけが、自分の後押しをしてくれると、心底感じます。

 動くこと、知ること。また、動くこと。

 毎年クリスマスに企画を任せていただけるようになり、朗読「しあわせの王子」、

 委託ですが、女優・橘奈穂の朗読と続きました。
 そして今年、原点回帰ということで、再び1人で臨むことに。

○「朗読劇」でなく「朗読」

「朗読劇」でなく、「朗読」。

 マイクを使った読み聞かせに近いものだと思っていただければ想像がつくと思います。
 僕自身は「役」を纏いません。初回のクリスマス企画とまったく同じ形態でした。

 違うのは、僕自身の脚本だということ。
 タイトルは「TOMOE」。とある中年独身男性のイブの夜を描きました。
 音楽業界での地位に固執して家庭を捨てた彼は、十数年後、当時2歳だった娘のことを想います。この数年、毎年クリスマスプレゼントを送れど、必ず、封も切らずに送り返されるのでした。

 

 今まで同世代の男女を描いてきた僕には、一人称の一人語りも、主軸となる人物・ターゲットの世代もこれまでとは違います。

 そういう意味では、回帰であっても新たな挑戦と言えました。

 

 のちに記載しますが、25日の劇団企画「透明人間」におこし頂いたお客様より、こんなお言葉を頂戴しました。

朝戸くんと菊地くんの脚本は、全然違うけど、やっぱり似てるね」と。

 長く朗読劇をやってきて、その多くを菊地さんに支えて頂いたことに起因する部分もあるとは思いますが、それ以上に、やはり書きたいものへの視点や捉え方が近いのだろうと思います。

○二つの朗読を終えて / 脚本公開

「TOMOE」を無事に終えて、次の日、劇団としての企画「透明人間」に臨みました。

 八焔座座長・菊地史恩の作・演出で、主軸となったのは劇団員・金海用龍。主人公は事故による右膝蓋骨骨折によって俳優になる夢から挫折し、今は池袋駅前公園で路上生活を送っています。「食べ物をください」と書かれたフリップを掲げて、毎日駅前に座り込みます。僕はそんな彼を横目に、家庭と仕事の折り合いに苦悩する自営業の若者を演じました。

 

 二つの企画を通して気づいたことがあります。

 ●一つには僕と菊地さんの書き方の違い。

 ●二つには、俳優としての自分です。

 

 菊地さんの本は、「演出家が書いた作品」だと強く感じます。朗読とはいえ身体のあり方、視線の移り変わり、四人の役がそれぞれの人生を生きて、交錯する様。視覚に作用する俯瞰と描写のあり方が非常に興味深く感じました。

 これは座長と二人で話したことですが、僕らはよく、「エモい!」という言葉を使います。エモーショナルだね、ということです。自画自賛しないとやってけないのです僕ら。

 僕は自分で「こいつはエモいぜ!」という部分を書くとき、決まって一人の人物の一人語りであり心理描写です。現在と過去、理想と現実の狭間を行き来する人物の思考そのものに注視します。

 

 しかし菊地さんの「透明人間」では、最後の盛り上がり(ラスト・エモーショナル)が心理描写ではありません。

 主人公が駅前から立ち上がり、少しだけ顔をあげて、足を引きずりながら明治通りを歩きます。その描写には、歩いている自分ではなく、眼に映るものや皮膚感覚に注視している様が表れていました。

 菊地さん曰く、「『朝戸は外から内へ、俺は内から外へ』かもな」、とのこと。僕は脚本家も演出家も名乗ったことはありませんが、いつか、互いが書いたものを互いに演出する企画をやってもいいかも、と今から楽しみにしています。

 下にラスト・エモーショナル部分を抜粋して画像として掲載します。笑 横書きが「TOMOE」です。

「TOMOE」の脚本はこの記事にて。「透明人間」の脚本もリンク先で公開しておりますので、ぜひご覧ください。

 

 二つ目に、俳優として。改めてこの三年間を振り返る様なクリスマスでした。初日に原点回帰して、二日目に、久々にプロデュースも制作もない、ただのいち役者として関わった朗読企画。

 ぶっちゃけ、僕はこの「金村」という主人公がやりたくてやりたくてやりたくて! 本当に久しぶりに、役者としての「欲」のようなものを感じた時間でした。(おい用龍、読んでるか!?) 

 

 菊地さんと最初に関わったときのことを思い出します。夜中にお電話を頂いて、俺の作品に出て欲しい、と。

 僕は当時、いくつかの作品で主役しか当てられませんでした。それがどうにも、悩みだったのですが、それを聞いた菊地さんは密かに腹を立てていた様です。

あ!? だったら俺の作品で脇役やらせたるわ!

 それから数々の素晴らしい役を頂いてきて、いま思うのは、座長の作品で主役、やってみてぇ。ということ。

 役者としてのあり方や欲のようなものをすっかり失ってしまった、と思っていましたが、その残滓はまだ、ちゃんと芯に残っていた様です。今回は、確かにそれを感じた夜でした。

 

 以下のリンクは、「TOMOE」の脚本ダウンロードリンクと、劇団コラムへのリンクです。

 後者リンク先では座長の所感と共に、「透明人間」の脚本ダウンロードも可能です。双方、ぜひご覧ください。

(双方、無断でのご使用・転載を禁じさせて頂きます。お問い合わせください)

 

 

 一年の良い締めくくりとなりました。

 ご来場いただいた皆様、ご注目くださった方々、改めまして、ありがとうございました。

 2017年3月には劇団第二回本公演「灰色オセロ」もございます。今後とも、よろしくお願いいたします。

 

 それでは、失礼いたします。良いお年をお過ごし下さい。

 

 

 朝戸 佑飛