朗読劇「幻日」を終えて / 脚本公開

(左から俳優・坂元龍馬くん、共演者・藤原みなみ、未来の映画プロデューサー・西嶋秀晃さん)

 

 

 16.11.27(日)、代々木のCafé’ nookにて、四作目となる朗読劇「幻日」の上演を無事に終えました。

 出演の藤原みなみさん(元青年座/現フリー)、演出の菊地史恩さん(八焔座座長)。急きょ音響をお願いした女優・外村道子さん(ECHOES所属)。本当にありがとうございました。

 そしてご来場頂いた45名ものお客様がた、まこと、感謝に尽きません。

 

 男女の行き違いを描いた「空巣」、

 性の罪悪感と死をテーマに据えた「乳白」、

「中途半端な才」に着目した「海月」に続き、今回の作品を4作目と捉えていますが、実際には、企画公演や提供作品などで他にも数作、発表しております。

 それでもこの一連の動きを4 作品としているのは、「自ら描きたかったかどうか」が理由です。

 実際のところ、二作目「乳白」を終えた時点で、自分の中にある書くべきこと、書かねばならぬと言えるほどの大きな問題意識というものは、半ば以上消化されています。それでも「海月」の着想を得たのは「書くということ」そのものをテーマに据えたからでした。

 

 それから一年半。自分の中にじわりと猛りつつも衝動にまでは成らなかったもの、それが、今回の軸である「エゴ」でございました。

◯「普通」のオトナ / 「さとり世代」というキーワード

 11月に25歳を迎えた僕は、改めて、役者活動に注視していた頃のことを思い起こしていました。なりふり構わず、他人の評価も、時には間柄さえ気にせずに、盲目的に突っ走っていたように思います。自分の中で制限を設けて、ある時期を境に起業、プロデュースに転向しましたが、その初動もやはり、他人の目を気にせず自らを押し通す尖ったものであったと思います。

 誕生日とほぼ同時期に、ほそぼそとではありますが三年目を迎えた自社の活動に想いを馳せて思ったのは、「丸くなった」、という一つの事実です。

 社会の一員として、経済の一つの歯車として回っていくために、自らをヤスリで削り、潤滑剤をさし、波風立てぬ動きを学んできた時間。培ってきたものと同時に、失ったものもまたありました。

 

 話は多少飛びますが、オーディション企画など、様々な機会で多くの役者のみなさんと出会います。

 そこで感じるのは、20代後半の役者と20歳前後の役者の意識の違いです。世代で一括りにはできませんし、良し悪しきもございます。それでも、常々感じ、気がかりなのは、「後者のニヒルさ」です。売れる、売れないで貪欲であることの泥臭さから目を背けている方が多いように思います。

 

 僕らの時代は「ゆとり」と呼ばれ、大学受験の際には「良い大学に行かねば職がない」と言われていました。その中で「正規ルート」から逸脱しこの道を歩む事、それなりの覚悟と勇気が必要だったと思います(僕は大学受験すらしていないのでこの限りではありません)。

 しかし一つ下の世代といえる彼らは、「さとり」と呼ばれ、「良い大学に行っても職が安定するわけではない」という前提、ある種の諦念が浸透していました。その環境の中で選ぶ「見世物の道」。そこに如何ばかりのエネルギーがあるでしょう。

 

 断っておきますが、世代で一括りにはできませんし、一様にこの話題一つの軸でもって判断することはナンセンスです。が、ここでは話を進めます。

 僕の同世代にも、いわゆる「さとり」のような人間は大勢います。彼らには総じて先見の明があります。同世代の周囲の人間たちよりも聡明で、なにかにつけ、nownewを捉える力があるように思います。その視点が、「ゆとり」でありながら「さとらせていた」のかもしれません。

 彼らに共通して僕から言えるのは、「さっさと死ね」ということ

 おっと、いきなりブッこんで失礼。

 

 僕はあれこれと先に言葉にして、行動する前にわかったようなことを言う人間が嫌いです。他人を見下しているくせに「見下すのはダサい、品性がない」と言って丁寧に振舞おうとする人間の卑怯さや一歩下がった態度に腹が立ちます。「意味がない」という言葉がそのまま目や耳や鼻になっているような薄い顔をしたアタマノイイ連中が大嫌いです。

 根性論を頭ごなしにバカにする根性なしが嫌いです。飲み会をバカにする奴が嫌いです。タバコがコミュニケーションにつながる事実を体験すらしないのに否定する人間が嫌いです。セックスが嫌いとかいう奴は死ねばイイと思います。

 悟るな、バカ。どうせ悟れてねーから。

 

本番当日、早朝。深夜稽古を終えて
本番当日、早朝。深夜稽古を終えて

◯「金田圭一、なんぼのもんじゃ」

 

  そして、ふと気付いたことがありました。「あ、最近おれ、うまくやろうとしてる」、ということ。

 理不尽と理不尽の戦いでいいじゃん、人間。なんて言えていた頃は、僕はもっと楽だった。それが及ばずながら会社なんぞやるようになり、勉強したことといえば、「お願いします」と「ごめんなさい」をいつどのように言うか、その見極めくらいです。少しずつ少しずつ、「常識をわきまえた社会人」になっていくようで、その違和感や鬱憤や回帰欲求みたいなものが、じっくりと腹の底で育っていたようでした。

 

 だから僕は一度死ぬべきでした。作中、僕の演じた金田は自らにこう投げかけます。上手くやろうとすんなよ、偉そうに。「なんぼのもんじゃ」。

 これが、「幻日」の根底にある衝動でした。(同世代で)理解できない人は僕には合わないので関わらないでください。理解できるけど楽しくなかった人は僕の力不足なのでどうか今後も見守ってください。理解できないけど作品を紹介したい人がいる、とかいっちゃう奴は一番「悟ってて」腹たちます。

 

 とにかくめちゃくちゃなことを言ってやりたかった。一年半越しに、やっと「書こう」と思った作品のきっかけは、新大久保の町並みを歩いていて目にする「黒マスクをつけたヒョロガリ野郎(大抵コート着てる)」をつい睨みつけてしまう自分を、無条件で肯定してやろう、と思ったこと。ただただ、それだけでした。

 結局これが落ちかよ、バカ。どうぞ罵ってください。き、き、きもちぃい。

 

左は演出・菊地史恩さん、右は女優・外村道子さん
左は演出・菊地史恩さん、右は女優・外村道子さん

◯脚本公開

 朗読劇「幻日」に再演予定はありません。でもいつかまた、恥ずかしながら大胆に大仰に、度数の高いアルコールみたく、皆様の前に一滴、垂らすことが出来れば、と思っております。喉元すぎる前に揮発したらごめんなさい。飲み込んじゃってもごめんなさい。謝ることしかできないようなバカで傲慢な作品を描くことができて、僕は、今回もまた幸せでございました。

 

 以下のリンクから、朗読劇「幻日」の脚本を無期限でダウンロードできるようにしておきます。

 僕の恥と欲の塊ではありますが(でありますから)、ぜひご一読いただければ幸いです(どうか読まないでください)。

 万一、使用したいという素敵に狂った方がいれば、一度ご連絡を。無断転載・使用を禁止させて頂いております。

 

 

 朗読劇「幻日」脚本 → 「 Download

 

 

 改めまして、携わってくれた方々、お越し下さったお客様がた。そしてご声援やご注目下さった皆々様がた、心より、感謝いたします。

 最後になりますが、思えば最初の一歩である「空巣」から、ずっと支えて下さっているCafé’ nook様。僕のホームのように思っております。

 

 ありがとうございました。

 

 

 ※間近の活動報告です。12月、副座長を務める八焔座にて、

第二回本公演・出演者オーディションを開催します。

ぜひ詳細をご確認ください。→ 劇団HPへ。

 

 

「幻日」脚本・出演  朝戸佑飛